スキとかキライとか、楽しいとか、楽しくないとか、は、『低次元』の領域です。
そもそも、私達が存在しているこの空間には、よく言うように『善悪』はありません。
ナイフがそこに合ったところで、良いも悪いもないのです。
料理を作るのか?
犯罪を犯すのか?
良いか悪いかは、低次元が介入する事で生まれるのです。
高次元は、ただ、『鋭利に削られた金属』を見るだけです。
つまり、スキとか、キライとか
はたまた、トキメクとか、トキメカないとか、すべて次元が低い話しでしかないのです。
そもそも、こういう認識は、ひとつの物を、分割する事から出てくるのです。
『前は見るけど、後ろは見ない』
だから、後ろから不意打ちを食らうのです。
好きな事やトキメク事というのは、どこまで行っても『他人の受け売り』だという事に気づくべきです。
あなたが動物園の園長だとして、動物たちが逃げ出しました。
どうしましょう。
まず、やるべき事は、檻の中に、エサを置いて待ち構えている事です。
そして、おいしそうな匂いに、ときめいた動物たちが、お肉にかぶりついた所で、
ガッチャーン!!
御用と成る訳です。
動物たちは、好きな事しか見ていなかったのです。
だから、せっかく手に入れた自由を失いました。
ご馳走とは、反対の方向へ、一心不乱に走れば、自由の楽園へと辿り着いたかも知れないのです。
田舎の母親が、子供を大都会東京へやるのは心配です。
なぜでしょうか?
都会は、誘惑が多いからです。
誘惑とは要するに『ときめき』です。
そもそも、好きな事も、嫌いな事も、
全て、自分でゼロから作り出した物ではありません。
元々、用意されているのです。
ひとつとして、あなたが自分で生み出した物はないのです。
思考停止して、好きな事だけに突き進むという事は、『他人の言いなり』になるという事です。
一見逆に感じますよね。
しかし、先程の動物の例を考えて下さい。
動物は、好きな物だけに従うのです。
だから、支配されるのです。
私達が、社会で出会う好きな物は、結局は、すべて、檻の中に置いてあるご馳走です。
それが、大都会の誘惑なのです。
そこにシッポを振って、入っていく事なのです。
私達が目指すべきは、高次元と同化する事です。
その時、スキとかキライは存在しないのです。
誤解をしてほしくないのは、感情が消える訳ではありません。
好き嫌いは、依然としてあります。
高次元と低次元は、階の違いだけであって、同じビルですから、片方が消えてしまうという事はありません。
しかし、低次元を『判断基準』にしないという事が出来はじめるのです。
それが、スキとかキライの究極の二元論の統合であり、超越です。
マイナス100の超不幸人間を、普通の幸せである『0』まで、引っ張り戻すのは、『一元論』で、良いのです。
もともとが、陰100%に成ってしまっているから、地獄へ落ちている訳です。
だから、陽100%にしてバランスを取っているのです。
それが、引き寄せの法則でいう、+だけを見るという事の正体なのです。
しかし、ゼロから先を目指すには、アセンションが必要なのです。
次元を上昇させるのです。
あなたが、好きな物と、嫌いな物を、共にフラスコに入れて爆発させるのです。
それが、本当の引き寄せを始める、賢者の石となるのです。