読者の方から質問をいただきました。
ありがとうございます。
この様な質問です。
結婚して主婦になってから、人間関係が会社員だった頃より楽になるかと思いきや、そうではなく、幼稚園や小中学校のPTA役員だったり、町内会や、ご近所づきあい、主人側の親戚との付き合い等々、ただの社会人時代よりも、より複雑化してしまった様な気がします。
以前のブログ記事『人生が変化する時に起こる事の予習(人間関係編)』で、人間関係について悪い変化が起きた時には、自分から走って逃げるぐらいが丁度良い、逃げ遅れたらゾンビになる、という記述を読み思いました。
もし目も合わせたくない人や、一緒の空間に居たくない人が出てきた場合は、歩み寄りより、走って逃げるに徹した方が良いのでしょうか?(無責任な行動という意味ではなく)
という質問です。
回答させて頂きますね。
これは恐らく、以前の記事で書いたこととは『趣旨』が違います。
以前、私が言っていた内容は、
人生の転換期などには、元々仲が良かった人。
つまり、極端に言えば、親友だったり、恋人だったりが、『手のひら』を返して来る時があります。
悲しい事ですが、人生には『別れ』や『絶交』という瞬間が、訪れるときがあります。
それは、潜在意識が変わると、要するに波動が変ってしまうので、今まではその相手と一致していたから仲が良かった訳ですが、それがズレるので、自分が相手を嫌になるか、相手が自分を嫌になるか?
これは、千差万別ですが、結果的に、一方がダメになったら、もうダメなのが、人間関係です。
類友の法則が大きく影響してくると言うことです。
つまり、言いたかったのは、こういう時の話しです。
その時は、強情を張ったり、相手の足にしがみついても、もう相手の波動は自分にとって『毒』に変ってしまったのです。
だから、潜在意識が、前もって『事件が発生する』前に、切り離そうと自己防衛機能を発動させている訳です。
事件が発生してからでは遅いからです。
なので、もはや自分にとって波動が毒になってしまった相手に、無理に、しがみつけば、しがみつくほど、その毒が、自分に感染して、身体に周り、最終的には、自分がゾンビになってしまいますよ。
という戒め的な意味です。
で、話しは戻ります。
幼稚園や小中学校のPTA役員だったり、町内会や、ご近所づきあい、主人側の親戚との付き合いは、そもそも、最初から仲良くない訳です。
言ってみれば、あなたの人生に対する『モブキャラ』です。
主要登場メンバーでは無いわけです。
そもそも、最初から波動が一致していたことすら無い訳です。
これに関しては『毒』でも『薬』でもありません。
なぜ、先程の元々仲が良かった人の手のひら返しは『毒』になるのか?というと、
それは、一般的に『あなたがその相手に執着してしまいやすい』からです。
裏切られた!と思って、攻撃に出始めたり、相手の足にしがみついて引きずられてみたりとか、要するに、自分から好き好んで潜在意識の『セルフイメージ』を下げ、それに連動して、引き寄せが発動すると、大量のゴミ又はゾンビがあなたの周囲に集まり、自滅する事になるのです。
しかし、PTAとか、ご近所づきあいとか、旦那の親戚とかを相手に、何かあったとしても、そんな心境には普通ならない訳です。
だから、『毒』でも『薬』でもないのです。
執着や怨念的なものは、必ず、『裏切られた』から出てくる訳です。
最初から、信頼関係のない存在に『裏切り』はできません。
そうつまり、最初から『信頼関係』のない相手の場合は、別に何か起きたとしても、走って逃げる必要はありません。
それは、『毒』でも『薬』でもなく、ただ頭の悪い人が、あなたの目の前で1人で騒いでいるだけなのです。
あなたは、そういう人を、ただテレビ越しに見ているだけだと思って下さい。
あなたに何の影響も与えません。
自分が相手に『信頼関係』を持った場合のみ影響が発生します。
あなたに何の影響も与えません。
つまり、本質的には、自分に影響を与えられるのは、自分しかいないという事です。
だから相手は、あなたに何の影響も与えません。
与えられないのです。
ご飯がおいしいのは、空腹になるからです。
その、あなたの周囲の変な人が、あなたの幸福感の基準を下げてくれるおかげで、あなたは自分の持つ幸せを充分に感じられるのです。
モブキャラとして、嫌な人は、全排出してはいけません。
あなたの人生は映画です。
どんな映画にも、雑魚キャラは存在します。
雑魚がいなければ、あなたという主人公は引き立たないのです。
雑魚は、泳がせておきましょう。
人生における、必要悪です。