あなたは『六畳一間』のワンルームです。
人間である以上、どんな人でも脳の性能に違いはありません。
医学的?科学的?にその様です。
そう考えると『IQ』というのは、部屋の使い方が上手いか下手かの指数なのかもしれません。
パソコンの様な物で、『データ』を突っ込めば突っ込むほど、処理速度が遅くなり『どんな仕事をさせてもノロマなカメ』に成ってしまいます。
では、なぜ、『六畳一間』なのか?
私達は、そもそも潜在意識空間の中で日々生活をしている訳です。
『皮膚の内側』が顕在意識であり、『皮膚の外側』が潜在意識です。
この統合された意識空間の中で、一度に把握出来る空間はどのくらいですか?
一度に把握出来る範囲(スペース)という事です。
おそらく六畳ぐらいが限界ではないでしょうか?
この世界は、そもそもが潜在意識空間です。
物であっても、それはあなたの意識のエネルギーの固体化したものなのです。
そのエネルギーというスペースがあなたの六畳一間に陣取ります。
物理空間であれば、物理の制約を受けるから『不自由』であり。
精神空間であれば、物理の制約を受けないから『自由』である。
とんでもありません。
精神世界にも『物理の制約』が働きます。
物を置き過ぎれば、身動きが取れなくなるのです。
精神世界はどのようにでも想像出来るから自由だ!というのは確かに一見正しい様に思えるかもしれません。
しかし、本当にそうだとしたら、誰が『鬱病』になるでしょうか?
誰が『トラウマ』を作り、誰が『パニック障害』になるでしょうか?
精神世界は、ある意味、物理次元よりも不自由な物なのです。
物理の世界で『牢獄』に囚われる人は、余程の犯罪者でない限りはありません。
しかし、精神世界で『牢獄』に囚われ、奴隷と化している人は、相当の数に上るのです。
とは言う物の、理論的には『悟り』さえすれば、当然、精神世界は究極の自由です。
しかし、誰も悟っていない以上は、精神世界は極端に『物理次元化』しているのです。
人によっては、物理次元よりも低次元に落ち込んでいる事すらあります。
中途半端な創造性が、より精神世界の不自由さを増しています。
物理次元では、壁の無い所に壁は出てきません。
精神次元では、そこに壁が無くても有ると思ったら有るのです。
精神世界は、物理世界よりも『不自由』なのです。
まず、ココを理解してください。
逆に考えて居る人が多すぎる訳です。
だから、断捨離の重要性を理解出来なくなったりするわけです。
あなたは脳の中の、総務部の職員です。
資料が多すぎる職場や、物が多すぎる職場を想像して下さい。
課長から指示を受けた後の混乱度合いは容易に想像が出来ます。
現実で想定しても、そうであるという事は、精神世界ではもっとそうなのです。
くどい様ですが、『悟り』さえすれば違います。
しかし、普通の人の場合は『現実』をより『誇張』したものが『精神』です。
一度に把握出来る空間(スペース)はおよそ六畳ぐらいが限界だとすると、六畳分は物を持てるという意味ではありません。
六畳で快適に過ごせる。
身動きが出来るぐらいという意味です。
そのぐらいにしないと、確実にマインドの処理能力が落ちます。
そして、精神空間の『とある座標』に閉じ込められてしまうのです。
物と心を別々の物として扱ってはいけません。
物と心は、コインの裏表、同じ物の二面性でしかありません。
物は、究極にスピリチュアルな固形物なのです。
だから、世界には聖域があったり、神像があったり、はたまた呪いの宝石があったりするわけです。
それは、物が精神に絶大な影響を与えるという証拠でしか有りません。
使っていない物の為に閉じ込められるなんてのは馬鹿げています。
冤罪で捕まるのと大差有りません。
あなたは、冤罪で捕まっているのです。
その牢獄から脱出する。
『プリズンブレイク』こそが、断捨離の本当の意味なのです。